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中村頼永
USA修斗協会代表
バーリトゥード・ジャパン立案者
本日は、『バーリトゥード・ジャパン09』にご来場いただき、厚く御礼申し上げます。久々の開催となる本大会は、通算7回目となります。
15年前の1994年に初開催されたこの大会は、当初『第2回シューティング(修斗)・オープン選手権』として企画されていました。
佐山聡先生により、1984年に公に産声を上げた新格闘技『シューティング』は、『打投極』の回転をメインコンセプトに実戦の試行錯誤を重ねて地道に総合格闘技を追求し、その姿を皆で洗練して『修斗』に発展して来ました。
修斗は大相撲を範とし、社会的認知を得るため格調高き総合格闘スポーツを目指していますが、私は修斗を一つの徒手格闘の実戦武道理念とも捕らえています。つまり、1対1や1対複数を想定した全局面で、打撃、投撃、極撃全てを兼ね備えたこの修斗は、ブルース・リー先生創始のジークンドーと共に一番効果を発揮する総合格闘理念であると。1対1の場合は、グラウンド技術があった上に打撃技術も投撃技術も駆使でき、1対複数などのグラウンドへ行けない場合でも打撃で対応できる。これぞ本物の総合格闘理念ではないかと私は考えます。
そんな修斗が1993年、必然的に直面したのが『第1回アルティメット大会』と『ブラジリアン柔術』、そしてブラジルの『バーリトゥード(何でも有り)』でした。
実は、このバーリトゥードの戦闘技術はアルティメット大会が開催される随分前より、佐山先生と私とで研究を進めていました。
アルティメット大会もブラジルのバーリトゥードも、『立会人が居る中で1対1で戦う』などのルールがあるわけで、厳密には本当の『何でも有り』ではありませんが、そのバイオレンス性が注目を集める中、そこに潜む技術性を認め、佐山先生率いる修斗はこれを避けずに実体験することで技術革新、発展の糧とする道を選びました。
しかし、目指すべき聖地はバイオレンスではなく、テクニカルな攻防です。そこで、『第2回シューティング・オープン選手権』を『第1回バーリトゥード・ジャパンオープン』とすべく、私は、ブラジルのバーリトゥードを更にリサーチし、それを踏襲しながら修斗の理念に添った日本版バーリトゥードのルール作りを始めました。何と言ってもリング使用、オープンフィンガーグローブ着用、ラウンド制、目潰し・頭突き・金的攻撃・噛み付き等を不可とし、新語「ストップ・ドント・ムーブ」などを明記し、米国から佐山先生に逐一確認を取りながらルールを整備しました。幸い私には、1985年、佐山先生が色々試行錯誤の時期、佐山先生から受けていた個人特訓で、グラウンドでの打撃攻撃を受けるという死にそうな実体験も有りましたので、その時の体験を基に、非常に危険なグラウンド肘打ちも不可としました。これらは現代の『MMA(総合格闘スポーツ)』ルールのスタンダードになったと自負しています。
しかし、当初は「体重無差別トーナメント」という危険なものではありました。
こうして、1994年7月に初開催された『バーリトゥード・ジャパン』は、その後、ルールに微調整を施して1999年まで6回続き、どの大会でも修斗の選手は皆、偉大なるファイトを見せて、修斗全体に大きな発展躍進をもたらせました。
正直な話、『バーリトゥード・ジャパン』立案の最大の理由は、修斗の技術革新・発展以上に私が狙っていたのは、当時、凄い事を黙々と必死で頑張っているのに、全ての面において恵まれていなかった修斗選手が、大きな舞台で大きく注目を浴び、その存在と努力が正当に世間に評価されることでした。それは成功していったと言って良いと思います。
今やMMAシーンで、『SHOOTO(修斗)』は世界的進出を果たし、MMAのパイオニアとしてその地位は確立できたと思います。しかし、修斗は更なる境地、発展を目指して、通常の修斗公式ルールとは異なる『バーリトゥード・ジャパン』を修斗コミッション協力の下、10年振りにここに開催致します。この突然の復活開催の切っ掛けは、坂本一弘・修斗プロデューサーの直感的インスピレーションで、私はそれに大きな必然性を感じました。
全ては修斗発展のため、そして、修斗選手の発展のため。
修斗道の探究に終わり無し。
本日はどの試合もレベルの高い技術戦が繰り広げられると思いますが、そんな瞬間には、ご来場の皆樣方の熱い御声援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
末文になりましたが、今大会開催にあたり御協力下さいました全ての方々に深く感謝致します。押忍。
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