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追伸、最高裁平成21年4月2日判決言渡により長野地裁平成20年2月22日・朝鮮総連県本部の朝鮮学園占拠減免取消命令の判決確定

 投稿者:cafe  投稿日:2009年10月 7日(水)06時06分41秒
編集済
   10月6日付け投稿、本件の課題内容、及び背景に追加と致します。
 先に指摘したように、本件の法律構成は、
(1)課税補充台帳に、町会所有者の納税義務者名義人として、登録されている神社公民館土地建物の”第1の事案”が、別件原告敗訴の固定資産税・都市計画税減免事件と同様の事案になって、一事不再理に相当するか否か、また
(2)朝鮮総連の朝鮮学園占拠固定資産税・都市計画税に関する”第2の事案”が、別件原告勝訴の同様に、固定資産税・都市計画税減免判決と同じく、一事不再理に相当するか否かという、第1事案と第2事案が併合になった本人訴訟の住民訴訟事件です。

 さて、その第1,第2事案の両方とも、同様な固定資産税・都市計画税の減免事例です。共に、社会教育法第42条公民館に類似する施設だから、先述したように、
「(ア)、地方自治法第367条災害その他の減免、(イ)、市税条例第65条1項2号公益上の直接専用する固定資産の減免措置、及び
(ウ)、その市税条例施行規則の固定資産税・都市計画税減免取り扱い基準(以下、減免取り扱い基準という)」など、該当する法律、条令、規則・規程等(条例の施行関係)の条文に基づき、市長が課税権を行使する定めです。

 この点は、平成19年11月30日最高裁の熊本市長上告棄却によって、福岡高裁の朝鮮総連熊本県本部会館固定資産税・都市計画税減免取り消し命令が確定した判例でも、該当する法律、条例、施行規則など、条項・条文の適用を怠る場合、「手続きの瑕疵に当たるから、当然無効となる」旨の裁判長判決に、判示されています。

 また、平成18年4月1日、総務事務次官通知(以前の通達と同じ)として、「福岡高裁の熊本県市長逆転敗訴判決を引用し、固定資産税・都市計画税を”厳正に法適用”するように」と、地方自治法第245条4項国・政府の所管大臣(総務省)、ないし都道府県知事の助言、勧告に基づき、全国の市町村長へ通達されました。
 この総務省事の務次官通達が、県知事へFAXで即日送信され、また県知事から市長へ即時にFAX送信されました。そして、その当該市長は、次週月曜の記者会見で「総務省の事務次官通知に従う」と言明して、県下の新聞・TVなどマスコミに報道されました。
 当該市政のWEBページ(ホームページ)にも、市長の記者会見発言として明記されているから、市長は次官通達に従う地方自治法第245条の4号国と県の助言、及び勧告に、従うべき法的義務を避けられません。
 こうして、憲法第30条・第84条租税法律主義、課税要件の法定主義原理、また第14条法の下の平等原理の観点によって、本県本部会館の固定資産税減免取り消し事件の最高裁判例(福岡高裁判決確定)に基づき、またそれを引用した総務省事務次官の通達もあすから、市監査委員、及び関係する国の政府、県などを含む、行政府らの努力もあって、当該平成19年11月30日最高裁決定の福岡高裁判決が、確定して重要判例となりました。
 その結果、当該朝鮮総連占拠の朝鮮学園固定資産税・減免取り消し事件も、同様に市長の敗訴になって、その市長が「厳格な法適用の課税権行使」を命じられ、既に減免取り扱い基準に基づいて、減免税取り消し処分措置の課税権行使を、改めて執行した経緯です。

 こうして、本件に関する第2事案に係わる事情は、一変する結果になりました。その事情を、少し内容に踏み込んで説明致します。
 上記の第2事案、町会神社公民館事件は、先の10月6日投稿に述べたように、未だ該当する(ア)、地方税法第367条に基ずく、(イ)、市税条例第65条該当の市長など、決済書に適用条項・条文が欠けたまま、その「町会公民館と神社の使用」理由欄に記載されているだけで、当該市税条例の適用項目が記載されないで、市長がその固定資産税の町会による減免申請を許可しています。
 すなわち、その減免税該当の市税条例第65条に、「下記の一つ」と明記されているが、その「下記の該当項目一つ」を指摘する条項の適用がないから、その結果として何れの条文規定が本件に適用されるのか、定かではないものです。
 その事実認定がないままで、最高裁迄も、該当条項のない審理がまかり通るならば、市長、県、国など、行政による誤魔化しが無責任のままに、放置されて是正できないケースとなります。
 その上に、上述したように、所管する資産税課(関係する行政管理課、税制部局ら)は、「減免取り扱い基準の施行規則が存在しない」と、市税条例の施行規則だから、公布・公開を要する。しかし、”当然、あるべきものを、一切存在しないと虚偽の申し立て”を、押し通してきたものです。
 租税法は、憲法第30条、第84条租税法律主義の原理に基づくから、その課税要件の減免税基準適用が、地方自治法第16条5項公布・公示の公開手続きを要するにも拘わらず、違法の非公開は明らかに違法行為になります。この不正は、なかなか手の込んだ悪質なもので、さすがに今まで判例がありません。


 要するに、この公布・公示を、市長が故意に怠って、課税要件の減免税について、課税権行使取り扱いの違法行為になる場合、当然無効の悪質な過誤に相当しています。そして、市長が、過誤の瑕疵ある行政行為の違法な賦課・減免税手続きだから、当然無効になるケースです。
 市長その他所管の関係者らが、故意に本件の「減免税取り扱い基準」を、今まで隠蔽した地方自治法の違反ケースでした。
 すなわち、一方で、1事案の旭町会神社公民館は「厳正に法適用」どころか、減免措置の適用条項・条文、及び取り扱い基準の施行規則適用が一切ない。他方、2事案朝鮮総連の朝鮮学園占拠が、司法裁判判決による「厳格な法適用」の減免取り消し命令として、在日朝鮮人の朝鮮総連・朝鮮学園に対して、人種ないし民族の差別行為になって、人権侵害に相当せざるを得ないものです。

 以上、本件の租税法賦課徴収・減免取り扱いは、手続きの瑕疵が争点になって、これら第1、第2事例を比較考量すれば、その事実認定と適用条項、及び取り扱い基準の手続き瑕疵が、その第1事案の厳正適用に比べて、第2ケース過誤手続きの場合、憲法上の租税法律主義に抵触する事例になった経緯でした。

敬具
 

甲斐素直先生へ 

 投稿者:cafe  投稿日:2009年10月 6日(火)09時04分12秒
編集済
  甲斐素直先生へ                   2009.10.6

 本件は、本人訴訟による平成19年度分、固定資産税・都市計画税減免取り消し請求事件の住民訴訟(本件という)です。その平成12-18年度会計年度分、固定資産税・都市計画税減免取り消し請求事件(先の事件という)は、平成19年に最高裁の敗訴が確定しました。
 本件の平成19年度分減免取り消し請求訴訟の被告市長による答弁書で、「本件が先の平成12-18年度会計年度分減免敗訴事件と、同様な一事不再理である」と主張しました。そこで、当該地裁の裁判長は、「中間確認の訴え」を提起ものとして、平成21年3月13日に中間判決の判断になったものです。
 市長は、その中間判決を上訴しなかったから、原告主張の地裁中間判決が、勝訴の確定になって、「本件は先の事件の一事不再理には当たらない」判例になった経緯です。その後、本訴の審理が続行されて、約半年が経過しました。その本件審理の中で、本格的に開始されて、本件の平成19年度固定資産税減免取り消し請求は、「先の事件、平成12-18年度会計年度分敗訴判決と異なり、その一事不再理ではない法的根拠、及び要件」について、検証を行っているところです。

 その論点を中心として、概要を述べます。

1、先ず、右の被告市長が、一事不再理を主張する平成12-18年度、市長勝訴は、施行規則である「固定資産税・都市計画税減免取り消し基準」に、基づかない審理のまま、結審した判決でした。
 よって、手続きの瑕疵を脱がれないから、行政行為の違法となって、その減免措置が当然無効になるものです。
 この事件の次回口頭弁論期日の平成21年11月6日口頭弁論において、裁判長が、右の同減免取り消し基準を市長被告が乙号証として提出するよう、命令しました。次回、公判法廷の本件口頭弁論で、裁判長の提出命令による同減免取り扱い基準の文書が、市長の乙号証として提出される予定です。

 そもそも、この本件は、地方税法第367条固定資産税減免、市税条例第65条1項減免税規定、その第2号公民館類似施設、及びその第5号ア宗教法人に準じる宗教施設の二項を、当該神社公民館物件に減免適用して、権利能力なき社団の不動産所有者名義人、町会の納税義務者に対して、市長が町会の減免申請を許可した経緯でした。
 すなわち、課税要件の固定資産税・都市計画税施行規則の減免税取り扱い基準に基づき、市長、資産税課などが、町会の減免申請を許可する課税権の行使手続きになったものです。
 ちなみに、このことは、本件二事案の一つ、朝鮮学園校舎を占拠する朝鮮総連県本部の同様な減免取り消し請求事件で、住民監査請求の結果、及び勧告の文書に明記されています。また、住民監査請求の審理中に、監査委員が、当時、未公開扱いであった同減免取り扱い基準文書を、資産税課へ提出を指示して、初めて開示したものでした。
 こうして、その未公開の実態は、地方自治法上の違反に相当するから、小生は監査委員会に保存されているところの、監査請求審査の当該公文書を総て閲覧し、以上の本件が関係する事実関係を、確認致しました。

2、また、従来、本件神社公民館の使用実態も、市長及び町会から乙号証の証拠として、一切提出されませんでした。
 要するに、右の平成12-18年度減免措置は、該当する施行規則の取り扱い基準と、使用の事実認定がない状態のままで、その請求の主旨である市長の減免処分取り消し請求を、裁判官が適法と判断して市長勝訴の裁判所判決になった、先の事件審理経緯です。

3、本件町会の「権利能力なき社団」(地方自治法第260条の2地縁による団体として、法人化されていない)が、その町会が所有すると称する、当該公民館類似施設登録の課税補充台帳に、「所有者の名義人」として登録されています。こうして、町会に課税賦課の上に、減免申請許可になってきた経緯ですが、この権利能力なき社団は権利の主体になれないから、表題登記もできない。したがって、町会の権利の権利能力なき社団は、所有権を有する課税客体の納税義務者にはなれないから、課税補充台帳の所有者名義人になることは、あり得ない。
 よって、この納税義務者の課税補充台帳登録決定と、その課税賦課確定、及び減免税措置は、市長が過誤の瑕疵ある行政行為になって、その違法事実の固定資産税減免が当然無効になるから、取り消すべきものです。

4、なお、平成18.3.1東京高裁の被告町会民事訴訟判決で、この神社公民館について違憲判断となって、原告が勝訴しました。(不法行為3件と違憲の傍論)
 また、平成21年8.19東京高裁の住民訴訟事件でも、同じく違憲判断になって、この課税物件を、右の二件判決とも、「神社の社殿と境内地と事実認定の判断」でした。
 この判決の事実認定に反して、市長の当該課税物件認定は、あくまでも「公民館類似施設の旭町公民館」ですから、右の東京高裁別件二件による事実認定の判断とは、明らかに正反対の矛盾になっています。
 しかしながら、本件市長は、上述のように相変わらず、本件の神社・公民館併用施設に対して、市税条例の第65条1項2号公益上の直接専用する固定資産(公民館類似施設)、及び5号ア2宗教法人に準じる神社(宗教施設)の二項目を、適用して課税権の減免処分を行使しています。
 その社会教育法第42条公民館に類似する施設と、宗教法人法第3条に準拠する宗教法人に準じる神社という、併用の同一固定資産は、それぞれの該当する法律の趣旨が、相互に異なって、憲法第20条、第89条政教分離原則の枠組み原理に相容れない二つの法律に基づくものです。
 すなわち、併用二重使用目的の本件固定資産課税物件について、市税条例の減免項目が民法物件の「一物一権」だから、二項目が該当する減免申請の許可手続きそのものが、そもそも民法上あり得ないもので、市長が過誤の瑕疵ある行政行為の課税権を、行使した決済になって当然無効になるケースでした。
 しかも、この該当する減免取り扱いの基準文書が、先の事件、平成12-18年度会計年度訴訟の減免許可判断では、市税条例第65条1項の該当する減免条項(1号から5号、その5号でもア項以下の十数個項目がある)が、決済に適用される条文として、記載がなかった。
 また、規則として従うべき「固定資産税・都市計画税減免取り扱い基準」も、その減免申請許可決済に、「減免取り扱い基準文書自体が、そもそも存在しない」として、一切適用されていませんでした。
 この取り扱い基準文書の規則は、当然ながら、地方自治法第16条5項公布・公示の公開を要する規則、規程等に当たるから、市長が故意に隠蔽した経緯でした。こうして、当該物件の神社公民館併用による違憲の事実が、税制の減免税違反によって、顕在化することを、賦課徴収の回避によって適法化する工作の違法行為でした。

 結論として、本件減免取り扱いの適用手続きとして、この市税条例の二条項、及び条例の施行規則である取り扱い基準が、適用されていないから、市長の減免税許可は過誤の瑕疵ある行政行為となって、その課税権の行使が当然無効にならざるを得ない。

 以上、概要の説明まで。

 敬具
 

日本国アゼルバイジャン共和国大使館よりの嘱託募集

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 9月14日(月)21時01分47秒
編集済
  ■ 職 務 内 容
形態 嘱託
募集分野 貧困削減、多岐にわたる分野
業務内容 在外公館職員の指示のもと以下の業務を行う。

1.新規案件の形成に係る調査、事前調査
 草の根無償案件の実施前に、当該地域の現状、問題点、援助ニーズ、当該地域あるいは分野におけるNGO等の活動状況、他ドナーの援助動向等を踏まえ、案件の形成又は実施に必要な事前調査を行い、案件申請に必要な資料の作成を行う。実施地域により最大4−5日間程度の地方出張あり。

2.報告書等の文書の取り付け等
 要請書、報告書等、草の根無償の実施に係る文書を被供与団体から取り付ける。ローカルスタッフと協力し合い、電話、メール、FAX等で被供与団体と連絡を取り、面談を実施する。また関係団体等とのレターのやりとり、出張報告書、月間報告書の作成等。

3.実施状況モニタリング、フォローアップ
 これまで実施した案件について、現時点における実施状況のモニタリングを実施し、当該案件の適正な運営を確保するとともに、以後同様の案件を発掘し、実施する場合の指針、教訓を得るためのフォローアップを行う。

4.案件監理、報告書の作成等
 ODA案件を適正に実施すべく、申請案件を適正に審査し、監理する。

5.署名式・供与式のアレンジ
 署名式及びプロジェクト終了後の供与式のアレンジを関係者と行う。
業務対象国/勤務地 アゼルバイジャン
業務期間 2009/11/中旬 〜 2010/11/中旬
ただし最大2年までの延長可能
■ 応 募 条 件 等
必要な語学力 英語
ビジネスレベル
ロシア語、トルコ語、アゼルバイジャン語が出来ればなお望ましい
学位
必要な技術資格 国際開発、経済協力、中央アジア地域情勢に関する専門知識を有し、実務に関心と意欲のある方を歓迎。
類似業務経験年数 国際機関またはNGOでの類似業務経験2年以上を歓迎
業務内容による
年齢の目安 40歳以下
青年海外協力隊経験 不問
その他 ・チームワーク能力
・コミュニケーション能力
・コーディネート能力(大使館と被供与団体、地方行政府、会計事務所等との間の業務調整)
・事務処理能力(文書作成、計算、メール等のパソコンスキル)
・途上国勤務なので不便な生活に耐えられる気力及び体力
・デスクワークとフィールドワークの両立
・心身ともに健康であること
待遇 1.謝金額
 当地生活環境に応じ、一定の基準に基づき決定。住居費は別途支給。類似業務経験を2年以上有する場合は待遇面で優遇。

2.支給される必要経費
 日本から出発し、現地に生活の拠点がない場合には、往復航空賃(エコノミークラス最短距離)、往路の移転料及び支度料、予防接種代、ビザ取得料につき、一定の限度額の中で支給。日本国外在住者は別途相談。

3.保険
 雇用契約ではなく委嘱契約なので、契約が決まった場合には必ず各自で海外旅行傷害保険(緊急移送費補助付)等に加入する必要あり。

4.契約期間
 各年度の委嘱契約期間は年度末(翌年3月)までとし、翌年度以降も原則最長2年まで延長可能。
募集人数 1名
募集期間 2009/09/14〜2009/09/30
■ 応 募 方 法
応募方法 1.書類選考
 履歴書及び職務経歴書(書式自由、写真貼付けまたは別添)、業績一覧(ある場合のみ)を日本時間2009年9月30日(水)までに担当者宛にメールにて添付送付願います。志望動機、専門分野、希望条件等についても適宜お知らせください(書式自由)。
【送付先】koutaro.matsuzawa@mofa.go.jp
     ※上記アドレスに500KB以下のサイズでメール送付願います。

2.電話面接
 書類選考通過者には、10月上旬~中旬に当館より電話面接を実施。必要に応じて追加書類の提出の依頼もあり。

3.赴任時期
 11月中旬〜下旬を予定。
応募時の注意事項 1.提出書類の形式はWord、Excel、PDF、JPEG/TIF(スキャナ取り込み画像)のいずれか。いずれもデータは鮮明で判読可能なものに限る。

2.履歴書には連絡先メールアドレス、電話面接実施可能な電話番号を明記すること。(面接日時については別途調整の予定)
 

UFOに乗って金星へ

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 9月 5日(土)17時14分49秒
編集済
  今日(9月5日)、私のところに送られてきた南ドイツ新聞インターネット版で、「UFOに乗って金星へ」という見出しがありました。何だろうと思ったら、鳩山夫人の幸さんに関する記事なのです。
 見出しにあるとおり、彼女がトークショーで、UFOに乗って金星に行ったが、緑でとてもきれいだったとか、トム・クルーズの前世が日本人で、その時に彼に会っているとか、何とも突飛な発言をしている人だと紹介されています。
 略歴的には、上海生まれ、神戸育ち、宝塚出身で、退団後、結婚してアメリカに行き、日本レストランで働いている時に、スタンフォードに留学していた鳩山と知り合い、不倫の中になったあげくに、鳩山と再婚したとあります。旧姓や両親については全く公表していないとか。
 ドイツでは、もうすぐドイツ自身の総選挙が行われます。そのおかげで、南ドイツ新聞では、毎日、ドイツの選挙報道に忙しい。その影響だと思うのですが、日本の選挙については、8月31日に、その結果について、後ろの方の面でちょっとふれている程度で、たいした興味を示しませんでした。その南ドイツ新聞に初めて載った日本の選挙関連の大きな記事がこの金星行きの話なのです。がくっと来ますね。
 それにしても、変な人が首相夫人になったものです。今後とも、オバマ夫人などよりよほど国際的な注目を集めそうな感じです。
 

カーテナ剣の話

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 8月31日(月)23時59分41秒
  鎌池和馬著『とある魔術の禁書目録』を読むのが好きな人なら、この作中のイギリスで、カーテナという剣が、現在、とんでもない活躍をしているのをご存じだろう。そんな刀の名前は聞いたこともなかったので、当然作者のでっち上げた話と思っていたら、息子に言わせると、それは実在し、本当に現在のエリザベス女王の戴冠式でも使われた、という。
 今回、イギリスに来たのを機会に、もしそれが存在するならば、是非お目にかかろうと考えた。それがあるならば、あるのは倫敦塔内の宝物塔に違いない、とねらいをつけ、わざわざ一日をつぶして出かけていった。
 結論から言うと、なるほどあった。もっとも、インデックスの挿絵に出てきたような、とんでもない形ではなく、ごく普通の幅広の直刀の先端が10cm程度、無くなっている、というものである。実を言うと、これは3本でワンセットの剣の1本で、後2本と柄の部分などはそっくりである。宝物塔が販売している公式ガイドブックの中に説明があったので、以下、それを引用する。
「俗界正義の剣、天界正義の剣、慈悲の剣
 尖った剣先を持つ正義の剣二振りと、またの名を『カータナ』といい、剣先の鈍い慈悲の剣は、戴冠式の御列では鞘には収められずに剣先を天に向けて捧持されたが、戴冠式自体では何ら公式な役割を果たしことはなかった。1189年のリチャード獅子王の戴冠式の御列で同じような剣が捧持されているが、これは本来、獅子王の王国の3領土であるイングランド、ノルマンディー、アンジューを表していたようだ。それが、後に正義と慈悲という王の美徳を体現するものと見なされた。これらの剣は他の収蔵品と異なり、鉄製のはを使った実用的な武器として制作されている。おそらく三振りとも1626年のチャールズ一世の戴冠式用に作られたものと考えられるが、その後、ロード大司教は、これらをウェストミンスターの宝器とともに保管するように命じられた。戴冠式用スプーンを除くと、これらの剣は、君主不在期間を生き延びた唯一の即位の宝器である。この三振りの剣が当時たどった運命は知られていないが、少なくとも1685年には国王の所有に戻り、それ以後、すべての戴冠式で捧持されてきた。刺繍で装われたベルベットの鞘は、1821年に剣が『錆に錆び付いて』イルのが見つかった後の修理の一部として制作された。」
 この文章、補足すると、清教徒革命によって、国王の首をはねた後、清教徒たちは組織的に王冠をはじめとする王家の宝物を、破壊したのです。その破壊の嵐を、なぜかこの剣は生き延びた、というわけです。書いてはありませんが、カータナが他の二振りと同じ格好をしているところから見て、たぶん、先端ははじめから無かったのではなく、この破壊の時期のどこかで折られたと考えるべきなのでしょう。
 さて、このように、剣がずっと戴冠式で捧持されていた、というのなら、どこでどう捧持していたのだろうと疑問になり、宝物塔で上映している戴冠式の映画を私は3回も繰り返してみてみました。残念ながら、はっきりとは確認できませんでした。エリザベス女王が戴冠式の一環として手に持ったのは、献納の宝剣と呼ばれる細身の剣です。戴冠式に列席している貴族の最前列の者が、剣を捧持しているように一瞬だけ写りますが、自信を持って、それがカーテナなどだと断言することはできません。少なくとも、エリザベス女王の周りを直接に取り囲んでいる人々が持っているわけではない、ということは断言できます。そういうわけで、このカーテナは1626年頃の作品です。
 同じ時期に作られた3本セットの剣なのに、この先のない剣だけを取り上げて、なぜ物語の主役としたのか? その辺の作家の頭の中の思考過程を知りたいものです。
 

会計年度が4月始まりである理由

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 7月 2日(木)17時55分23秒
   日本の会計年度が4月始まりである理由は、案外知られていないようです。ネットにどんな答えが載っているかと、今、調べてみたら、何とイギリスの会計年度が4月始まりだから、それに合わせた、なんていう冗談みたいな説が真面目に載っているくらいでした。
 国の財政制度というのは、どこの国でも、その国のもっとも個性ある部分ですから、植民地でもあるまいし、もちろんそんなことで換える訳はありません。
 明治の始めの頃は、会計年度の始期はひっきりなしに替わっていました。それは、もちろんその時々のきわめて切迫した財政事情から生じた変更です。それが最後に明治19年に4月始まりに変わって、それからはまったく変化していないのだから、大したものです。
 さて、その最後の変更理由は何か、ということですが、答えは軍事費の負担が大きかったから、というものです。
 すなわち、西南戦争後、日本は、朝鮮への侵略指向を明確にしていく中で、毎年度大幅な軍備の拡充を行います。松方正義は、その軍事費を賄うため、明治13年に酒の税率を1石1円から2円へと倍に引き上げ、これを軍備部という特別会計に充当しました。当初は、大幅な増税にもかかわらず酒の生産量が伸びたため、税収は伸びて軍事費が賄えたのですが、16年度以降、不景気になるとともに、農民所得が減少し、それに反比例して密造酒が増加するとともに、酒税収入は伸び悩むことになります。
 当時酒税は、納期が年に3回あり、第1期が4月、第2期が7月、第3期が9月となっていました。これに対し、この時期、会計年度は、7月〜6月でした。しかし、上述のように、税収が落ち込んでいるのに軍備費が大幅に伸びているので、国庫の資金繰りの都合から、酒税は本来第1期だけしか当該年度には入らないはずなのに、第2期や第3期までも当該年度収入に繰り入れて使用していました。つまり、歳出の方が先に行われ、実際には翌年度に入ってくる歳入を当該年度の収入であるかのようにやりくりしていたのです。このため、大蔵省のやりくりは完全に自転車操業状態に陥り、早晩破綻することは誰の目にも明らかでした。そこで松下正義が考え出したのが、年度始期の変更です。
 彼は、明治17年に作成した「会計年度変更趣意書」という文書の中で、次のように述べています。
 現行会計年度と現行租税納期の不適合により、毎月「多きは2千5〜6百万円、少なきも数百万円の不足を生ぜり。此月計上の不足額は準備金より借り入れ、なお不足の分は従前にあっては数千万円の予備札を発行して補填に充てたり。これがために、紙幣の価格、度外に低落し、遂に一国経済の根本を紊らんとする一大危険に逢着せしを以て、百方此の危険を救うべき方策を講じ、一面には準備金を金銀貨に換えて国庫に蓄積し多年紙幣引き替えの原資に供し、一面には断然予備紙幣発行を停止し、かつ紙幣償却の履行を厳にし、これがために紙幣の価格は今日の景況を見るに至るといえども、前陳月計上の不足額に至っては畢竟会計年度と租税納期と相適合せずして、歳入期の歳出期に後くるる事、ほとんど半年なるにより生じたる結果にして、この会計年度と租税納期とを適合ならしめんと欲せば、会計年度を更正するの他に良策あることなし」(ワープロでたたく都合上、かなりの漢字をひらがなにし、あるいは送りがなをおごり、ついでに句読点を打っています)
 なぜ、19年度から換えることを17年度に決めたかというと、18会計年度予算から、酒税の歳入をそっくり落とす(それはすでに17年度に使われてしまっていたから)という荒療治をする以外に、会計年度と租税年度を一致させることができなかったからです。
 こうして、13年度以降行われていた軍備部という特別会計が、年度の始期の変更に伴って廃止になります。これに代わって、以後、海軍公債と呼ばれる5%の低利公債を発行して軍事費は賄うことになります。
 

ハワイ島在住の元邦人の伯母の弁護士から危篤の報があり

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 6月 8日(月)08時02分25秒
  先日、本欄を通じて「ハワイ島在住の元邦人の伯母の弁護士から危篤の報があり」との相談を私に寄せられた方に。
 「管理者へのメール機能」を通じて私にメイルをくださった場合、その本文中にご自分のメイルアドレスを書いてくださらないと、私として送信者を知ることができず、返事を差し上げることができません。そこで、一応の返事をこの欄に書いておくことにします。
 事情が今ひとつよく判らないので、一般的な返事を差し上げる以外にないのですが、アメリカ法の下では、伯母さまの弁護士に不満がある場合、日本でいえば家裁に相当する巡回裁判所を通じて、その弁護士の罷免を争う他はないと思われます。その際、弁護士を雇う余裕がない場合には、ハワイ州弁護士会に相談するか、ハワイ大学ロースクールに相談されれば、何らかの法的援助を与えて貰えるものと思われます。しかし、日本にいたままでそうした援助を得ることは困難です。6月中であれば、ハワイ往復5万円程度で可能ですので、早めに一度ハワイに行かれることをお勧めします。
 

私宛の個人メール

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 4月 8日(水)09時56分46秒
   この掲示板の一番下にある「管理者へメール」機能で私にメイルをくださる方で、私からの回答を希望される方は、そのメイル内に、必ず返信先のアドレスを書いておいてください。「管理者へメール」は、私へのスパムメイルを防ぐのですが、同時に送信者のプライバシーも守っているため、返信先のアドレスは私にはわからないのです。  

Amoklauf

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 3月17日(火)17時24分28秒
編集済
   昨日まで、1週間、ミュンヘン大学を駆け足で訪問してきました。この1週間の間にドイツで起きた最大の事件といえば、なんと言っても大量殺人事件でしょう。
 日本ではあまり報道されなかったようなので、簡単に紹介すると、事件は、ドイツ南部シュツットガルト北東20キロの町ウィンネンデンWinnendenにあるアルベルトビレ実科学校(Albertville-Realschule)で11日、男が銃を乱射し、生徒らを殺害した、という形で発生しました。犯人はその場から逃走しましたが、警察がヘリコプターなどを出動させて追跡、発見し、銃撃戦の末射殺しました。犯人は、17歳の同校の元生徒でした。写真を見る限りでは、かわいい顔をした普通の男の子です。
 死者は16人に上りました。犯人が死亡し、特段の遺書も残していなかったため、犯人の動機は不明ですが、失恋したせいではないかと見られています。というのも、犠牲者の大半は女性だったからです。すなわち、殺害された生徒9人中8人、教師3人が女性でした。犠牲者の中には、鉛筆を手に持ったまま死亡した女学生もいたといいますから、のっけにその女性を射殺したことになります。
 ドイツは、アメリカなどと違い、銃の規制は実に厳しく行われている国であるだけに、この事件はドイツに大変大きな衝撃を与えました。事件後1週間近く経過した今になっても、新聞が毎日紙面のかなりを割いて報道しているほどです。犯人の少年の銃器入手方法は、しかし、単純なものでした。犯人の両親は銃保持の免許を得ており、なんと計18丁の銃を所有しており、その1丁を使用したというのです。

 この報道で、盛んにAmoklauf という言葉がテレビでも新聞でも使われています。つまり、ドイツ人にとっては日常的な言葉です。ところで、私は、パソコンに二つの独和辞典を登載していますだが、そのどちらにもこれは載っていないのです。そこで、ネットサーフィンをやったところ、ドイツ語のウィキペディアに意味が載っているのを発見しました。そこから、さらに日本語のものを探したところ、あるホームページに、次のような解説が書かれているものを見つけ出しました。
「 マレーシア、インドネシア、フィリピン。東南アジアのモンスーン気候の国々ですが、近代化される以前の部族社会では、アモックと呼ばれる、人を無差別に殺傷する事件が起きていました。何か悲しい事があったり、侮辱を受けた後、部族の人との接触を避け、引きこもり、暗い目をして、物思いにふけっているような状態になる。そして、突然、身近の武器を手に、通りへ飛び出し、遭遇した人をかたっぱしから、殺傷してしまう。殺戮は本人が自殺、または、殺されるか、取り押さえられるまで続き、後で正常に戻った時には、人を殺傷していた時の記憶を失っている。」
 なるほど、失恋から無差別殺人に走ったから、アモックがLaufen(走る)ということで、Amoklaufという訳なんですね。それにしても、欧州で、日本人の知らないアジアの言葉が一般に使われているというのは、面白い現象です。
 しかし、原因を正確に突き止めないままに、精神病だと決めつけるのもどうかと私は思うのですが…。また、識者なるものが、さかんに人を射殺するテレビゲームの悪影響を云々しているのも、同じく実に短絡的な反応と思っています。
 

首相候補シュタインマイヤー

 投稿者:甲斐素直  投稿日:2009年 2月20日(金)10時23分12秒
編集済
   1945年の敗戦から1990年のドイツ再統一までの45年間にドイツ社会民主党(SPD)は4人の党首を持っていました。平均して1人11年強の在職期間ですから、当時のSPDは大変安定した政党であったわけです。ないしは非常に統一的な政党であったのです。他方、1991年から2008年までの間に、SPDの党首は7回も変わっています。そして、2008年10月18日、SPDは臨時党大会を開いて、8人目の党首として、かつての党首ミュンテフェリングを選出しました。つまり最近では平均して2年に1人のペースで党首を替えていることになります。これは、毎年のように党首を交換している日本の自由民主党からすれば、まだ間が空いていますが、1990年までの安定性を基準にすれば、大変な不安定さで、不統一な状態に陥っていることを端的に示していると言えます。普通、こういう不統一状態は、左右両翼の対立と説明します。しかし、南ドイツ新聞によれば、SPDは2枚どころか、トンボ顔負けに4枚の羽を持っているためだ、と説明しています。あるいはカメレオンのように、いろんな色になれる政党になったためだというのです。
 話が先走りました。以前に本欄で、ドイツではメルケル首相の人気のお陰で、その率いる与党キリスト教民主同盟CDU/キリスト教社会同盟CSUが強く、それに対して、それと連立政権を組んでいるSPDでは、ベック(Kurt Beck)党首に人気がないことから低落傾向にあること、そのためかつて同党党首の座にありながら愛妻の看病のため、惜しげもなくその座を捨てたミュンテフェリングの復帰を、同党の支持者は待ち望んでいるという話を書きました。
 ベック党首は、その後、2008年9月はじめに、SPD内部でさえ予期していなかったほど、全く不意打ちに党首の座を投げ出しました。その辺は、ちょっと安倍首相の投げ出しぶりと煮ていますね。そして、その後任選びにすったもんだした末に、ようやく10月中旬になって1ヶ月余に及ぶ党首の空白を埋めることができたわけです。このように長い空白を余儀なくされたのは、同党が一枚岩の政党ではなく、4枚羽の政党だから、というわけです。
 ベックからミュンテフェリングへ党首が変わったことにより、SPDは福祉重視(換言すれば労働者へのばらまき路線)から、再び改革志向へと方向転換したことになります。日本では、目下、与野党ともに、小泉改革を完全に忘れたように、ばらまき政策の競演を行っています。それに対し、SPDは、政権奪回の手段として改革志向に転換したことは、興味のあることです。
 さて、SPDでは、党首にミュンテフェリングを選ぶと同時に、現副首相兼外相のシュタインマイヤーを、2009年9月に行われる予定の連邦議会総選挙における首相候補に宛てる決定をしました。シュタインマイヤーは、ミュンテフェリングと同様、改革派なので、別に党内対立の融和策ということではなく、純粋に総選挙で勝てる候補を選んだ、ということのようです。つまり、彼は大変国民的人気の高い人物なのです。
 このフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー(Frank-Walter Steinmeier)という人は、したがって、近い将来においてドイツの首相となるかもしれないのに、日本ではあまり知られていません。そこで、今回は、彼の人となりを紹介することにします。
 前に、本欄で、現在ドイツの法務大臣を務めているブリギッテ・ツィプリースを紹介しましたが、シュタインマイヤーも、シュレーダー元首相の秘蔵っ子という点で、彼女とよく似た経歴の持ち主です。
 彼は、1956年生まれといいますから、1954年生まれの安倍晋三より2才若く、1961年生まれのバラク・オバマより5最年長ですが、同じゼネレーションといえます。生まれたのはドイツ北部にあって、ドイツ最大の人口を持つ州であるノルトライン=ヴェストファーレン州のデトモルトという町で生まれています。デトモルトについては、西暦7年にトイトブルガーヴァルトの戦いで、3万人のローマ軍団を撃破したゲルマン民族の英雄ヘルマンの記念碑が建っている町として、以前に本欄で紹介したことがあります。ドイツ鉄道ではなく、第3セクターの路線にある、ひなびた、中世風の美しい市街地の残る町です。
 父は木工職人、母は工場労働者といいますから、典型的な労働者階級の子弟です。ドイツは階級意識の強い国ですから、普通であれば、こういう家庭の子供は、国民学校から労働訓練所に進んで労働者になっているところです。それが、大学進学を予定しているギムナジウムに進学したのですから、子供の頃からよほど頭が良かったのでしょう(ドイツでは、労働者になるか、大学に進学するかは小学校5年の時点で決定しなければなりません。)。そのギムナジウム在校中に、すでにSPDのの下部組織である社会主義青年団(Jusos)に参加しており、大学に進む前に兵役を済ませ、それと同時にSPDに入党したというあたりは筋金入りの社会主義者という感じがします。
 1976年に、ドイツ中部、ヘッセン州にあるギーセン大学に入学、1982年に司法試験合格、1986年に司法修習の最後にある2回試験に合格しますが、その後は母校で政治学(公法)の助手として勤務しつつ、博士論文を書いて、1991年に無事法学博士号を取得します。博士号取得と同時に、今度はニーダーザクセン州首相府に勤務するようになります。
 ちなみに、ツィプリースは1952年生まれですから、彼より4歳年長です。彼女も母校はギーセン大学で、1980年に2回試験に合格した後、最初は母校であるギーセン大学事務局で働いていましたから、ここで最初に彼と経歴が重なります。その後、連邦憲法裁判所の調査官を経て、当時ニーダーザクセン州首相であったシュレーダーにスカウトされて、1991年から同州首相府に勤務するようになるのですから、二人は同じ年に同じ職場で働き出したことになります。
 シュタインマイヤーのシュレーダーとの関わりは、その後、急速に濃密なものとなります。1993年に、彼はシュレーダーの個人秘書の一人となり、その翌年には、政策及び出納部門の長となります。さらに、1996年になると、シュレーダーは、彼を同州の首相府長官に任命します。他方、ツィプリースの方は、翌1997年に、ニーダーザクセン州女性・労働・社会省の政務次官に任命されています。
 1998年に、ドイツ連邦議会選挙でSPDが勝利して16年ぶりの政権交代を実現すると、連邦首相となったシュレーダーは、シュタインマイアーとツィプリースの二人を連れてボンに乗り込みます。ツィプリースが連邦内務省政務次官に就任したのに対し、シュタインマイヤーは連邦首相府政務次官に任命されました。
 翌1999年7月に連邦首相府長官のボド・ホンバッハが辞任すると、シュレーダーはシュタインマイアーをその後任に指名しました。この地位で、彼はシュレーダー政権の重要な基本政策を幾つも作り出します。とりわけ重要なのが「アゲンダ2010」です。
 2003年3月にシュレーダーが公表したこの包括的改革案は、社会改革を目指して、失業保険の削減、年金支給開始年齢の吊り上げ、各種福祉サービスにおける自己負担の増大など、国民に大きな負担を強いる内容でしたから、郵政民営化という軽微な改革でさえ政権が大揺れになった日本では到底考えられない過激なものといえます。当然、足下のSPDでも大きな騒ぎになり、社会改革(Sozialumbau)ではなく、社会解体(Sozialabbau)だと非難されたものです。これに対し、シュレーダーは「私は社会国家を解体しようとしているのではない。それを今後も維持していくのに必要な改革を提示しているのだ。これまでのような経済成長が望めない以上、そして少子高齢化が進んでいる以上、こういう痛みなしに社会国家は維持できない。万事、これまでどおりで大丈夫という奴の方がペテン師だ」と主張して戦い、何とか党内をまとめました。この主張、今の日本でもそのまま妥当するように、私は思っています。
 2005年は、日本とドイツで、同時期に改革を争点とする総選挙が行われたことで記憶に残る年です。日本では、郵政改革を叫ぶ小泉自民党が地滑り的大勝利を収めて世界を驚かせました。それに対し、ドイツ国民は、シュレーダー率いるSPDに代えて、アンゲラ・メルケル率いるCDU/CSUを支持したのです。これでシュレーダー改革は挫折することになります。もっとも、CDU/CSUも単独で過半数を超えたわけではなかったので、結局SPDとの大連立ということになりました。
 この大連立政権の人事で、もっとも人々を驚かせたのが、シュタインマイヤーの外務大臣就任です。ツィプリースが2002年以来就いていた法務大臣は、日本とは違って、ドイツでは華々しい脚光を浴びる職です。それに対し、シュタインマイヤーが就いていた首相府長官という地位は、日本でいえば内閣官房長官に相当しますが、いわばシュレーダーの縁の下の力持ちというべきもので、決して目立つ地位ではなかったからでした。
 就任後は地味ながら手堅く外務大臣の職務をこなしており、特に、2007年上半期には欧州連合理事会議長国を務め、暗礁に乗り上げたEU憲法に代わる新条約への道筋をつけたことなどから、その力量に信頼が集まるようになっていきます。
 他方、クルト・ベックは、選挙での敗北を受けてSPDのかつての首脳陣が退陣した後を受けて、2006年からSPD党首になっていました。彼は、あえて入閣せず、閣外からアゲンダ2010で行われた様々な政策を骨抜きにすることに努めました。すなわち、シュレーダー政権下で短縮された失業給付金の給付期間の再延長を求め、大連立与党間で協議した結果、55歳以上(12ヵ月→18ヵ月)と、58歳以上(12ヵ月→24ヵ月)で延長が決定した。また、最低賃金制度についても、建設分野以外の業種でも制定するよう求めました。
 ベックとしては、アゲンダ2010の不人気がSPDの選挙での敗北を招いたと認識していたでしょうから、当然こうすることで彼個人とSPDの人気を高めることができると考えたはずです。ところが意外なことに、SPDの支持率は、これにより20%程度に低迷し、さらにあきれたことには、福祉推進派の党首よりも、改革派シュレーダーの秘蔵っ子であるシュタインマイヤーの方が、国民的人気が高い、という結果になったのです。
 そこで、2007年10月のSPD党大会でシュタインマイアーはSPDの連邦レベルでの副党首に選出されました。さらに、2007年11月にミュンテフェリング副首相兼労働相が夫人の病気からの辞任すると、その後任として副首相に就任しました。
 そして、冒頭にも紹介したとおり、2008年9月に、クルト・ベック党首が突然辞任すると、その後の空白の1ヶ月間、党首職を代行し、ミュンテフェリングが党首に選出されると同時に、2009年総選挙でSPDの連邦首相候補となることが決定したのです。
 さて、ここまでの紹介で、私は大事なことを一つ書き落としています。それは彼には、現時点において、連邦議会の議席がない、ということです。ツィプリースは、2005年の総選挙で見事連邦議会議員になっているのですから、シュタインマイヤーもそうすれば良かったのです。何故そうしなかったのかはわかりません。
 とにかく、首相候補として戦う2009年9月の総選挙で、彼は初の議席を得るはずです。日本で、衆議院議員として初当選する者が、そのまま首相になる可能性がどのくらいあるかを考えれば、ドイツ政界の柔軟性が判ります。また、シュタインマイヤーを最初に首相候補に内定したのが、やめたベックであることを考えると、彼が党内で、党派を問わず、どれほど期待されているかがよく判ると思います。
 もし彼が2009年9月に首相になれば、ドイツは再び改革にチャレンジすることになります。米国のバラクの叫ぶチェンジと相まって、世界は改革の方向に向かって走り出そうとしています。改革を一休みしようとしている日本に未来はあるのでしょうか。
[注]
 総選挙で、政党がそれぞれ首相候補を決めて戦うと聞くと、まるで米国の大統領選挙のようなやり方ではないか、と錯覚する方がいるかもしれないので、注記します。
 ドイツ連邦議会の選挙制度は、日本の現行衆議院議員選挙と基本的に同じ小選挙区・比例代表制なので、有権者は2票の投票権を持っています。第一の票は、選挙区選挙の投票権で、それぞれの選挙区の候補者のうち、最多得票者が連邦議会議員に選出されます。第二の票は、比例選挙区の票で、ここでは政党を選択します。政党は州単位で名簿を用意し、その得票率に応じて名簿の上位者から連邦議会議員となれるわけです。
 日本との違いは、第一の票数と第二の票数を集計し、各党の得票数の比率に対応するように議席配分がなされる点です。
 ただし、ある政党が、比例配分で得られるはずの議席数を超える候補者を選挙区選挙で当選させていた場合には、その「超過議席」を保有することが認められます。その結果、1994年の選挙では議員定数は656議席でしたが、この超過議席の結果、総議員数は672名でしたし、1998年の選挙では669名でした。2002年の選挙時には定数を598議席と大幅に縮小した結果、実際の議席数も599議席とほとんど一緒でした。しかし、2005年選挙の結果である現在は614議席と、選挙ごとに総議員数は乱高下しています。
 この第二の政党の選択に関しては、CDU/CSUやSPDは、これを首相の選択と読み替え、それぞれ首相候補者の顔写真を掲げて戦います。なお、党首と首相候補者とは必ずしも一致しません。例えば1998年の選挙では、CDUでは、ヘルムート・コールは党首であり、首相候補者でしたし、2005年選挙ではメルケルがCDU党首兼首相候補者でした。それに対し、SPDでは、1998年選挙では党首はラ・フォンテーヌで首相候補者がシュレーダーだったのです。2005年の選挙時には、SPD党首はミュンテフェリングに変わっていましたが、首相候補者は依然としてシュレーダーだったわけです。このように、最近の選挙では、なぜかSPDが、党首と首相候補者を分ける癖があります。
 ドイツの連邦議会議員選挙における投票率は、1998年は82.2%、2002年は79.1%、2005年は77.7%と、だいたい80%内外の数字になっていて、60%内外の日本の総選挙よりかなり高率です。これは、選挙区選挙でも、比例区選挙でも「顔の見える選挙」が行われている結果だとドイツ人は自慢しています。小泉首相が正面に出て戦った2005年9月の総選挙が例外的に高い67.51%だったことを考えると、その主張には一理あります。とにかく、ドイツの総選挙は、候補者本人の宣伝カーなどは先ず見かけない静かな選挙であるだけに、首相候補者が誰であるかは、個々の連邦議会議員の命運をも左右する、極めて重要な要素です。
 日本の自由民主党も、麻生総裁とは別に、首相候補者を立てるという選択肢を検討した方がよいのかもしれません。
 

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