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日本の会計年度が4月始まりである理由は、案外知られていないようです。ネットにどんな答えが載っているかと、今、調べてみたら、何とイギリスの会計年度が4月始まりだから、それに合わせた、なんていう冗談みたいな説が真面目に載っているくらいでした。
国の財政制度というのは、どこの国でも、その国のもっとも個性ある部分ですから、植民地でもあるまいし、もちろんそんなことで換える訳はありません。
明治の始めの頃は、会計年度の始期はひっきりなしに替わっていました。それは、もちろんその時々のきわめて切迫した財政事情から生じた変更です。それが最後に明治19年に4月始まりに変わって、それからはまったく変化していないのだから、大したものです。
さて、その最後の変更理由は何か、ということですが、答えは軍事費の負担が大きかったから、というものです。
すなわち、西南戦争後、日本は、朝鮮への侵略指向を明確にしていく中で、毎年度大幅な軍備の拡充を行います。松方正義は、その軍事費を賄うため、明治13年に酒の税率を1石1円から2円へと倍に引き上げ、これを軍備部という特別会計に充当しました。当初は、大幅な増税にもかかわらず酒の生産量が伸びたため、税収は伸びて軍事費が賄えたのですが、16年度以降、不景気になるとともに、農民所得が減少し、それに反比例して密造酒が増加するとともに、酒税収入は伸び悩むことになります。
当時酒税は、納期が年に3回あり、第1期が4月、第2期が7月、第3期が9月となっていました。これに対し、この時期、会計年度は、7月〜6月でした。しかし、上述のように、税収が落ち込んでいるのに軍備費が大幅に伸びているので、国庫の資金繰りの都合から、酒税は本来第1期だけしか当該年度には入らないはずなのに、第2期や第3期までも当該年度収入に繰り入れて使用していました。つまり、歳出の方が先に行われ、実際には翌年度に入ってくる歳入を当該年度の収入であるかのようにやりくりしていたのです。このため、大蔵省のやりくりは完全に自転車操業状態に陥り、早晩破綻することは誰の目にも明らかでした。そこで松下正義が考え出したのが、年度始期の変更です。
彼は、明治17年に作成した「会計年度変更趣意書」という文書の中で、次のように述べています。
現行会計年度と現行租税納期の不適合により、毎月「多きは2千5〜6百万円、少なきも数百万円の不足を生ぜり。此月計上の不足額は準備金より借り入れ、なお不足の分は従前にあっては数千万円の予備札を発行して補填に充てたり。これがために、紙幣の価格、度外に低落し、遂に一国経済の根本を紊らんとする一大危険に逢着せしを以て、百方此の危険を救うべき方策を講じ、一面には準備金を金銀貨に換えて国庫に蓄積し多年紙幣引き替えの原資に供し、一面には断然予備紙幣発行を停止し、かつ紙幣償却の履行を厳にし、これがために紙幣の価格は今日の景況を見るに至るといえども、前陳月計上の不足額に至っては畢竟会計年度と租税納期と相適合せずして、歳入期の歳出期に後くるる事、ほとんど半年なるにより生じたる結果にして、この会計年度と租税納期とを適合ならしめんと欲せば、会計年度を更正するの他に良策あることなし」(ワープロでたたく都合上、かなりの漢字をひらがなにし、あるいは送りがなをおごり、ついでに句読点を打っています)
なぜ、19年度から換えることを17年度に決めたかというと、18会計年度予算から、酒税の歳入をそっくり落とす(それはすでに17年度に使われてしまっていたから)という荒療治をする以外に、会計年度と租税年度を一致させることができなかったからです。
こうして、13年度以降行われていた軍備部という特別会計が、年度の始期の変更に伴って廃止になります。これに代わって、以後、海軍公債と呼ばれる5%の低利公債を発行して軍事費は賄うことになります。
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